
鈴木 康友(すずき やすとも)
| 昭和32年 8月 | 浜松市に生まれる |
| 昭和45年 3月 | 浜松市立広沢小学校卒業 |
| 昭和48年 3月 | 浜松市立蜆塚中学校卒業 |
| 昭和51年 3月 | 静岡県立浜松北高等学校卒業 |
| 昭和55年 3月 | 慶應義塾大学法学部卒業 |
| 昭和60年 3月 | (財)松下政経塾(第1期生)塾卒業 |
平成 2年 4月 〜11年 1月 |
ステラプランニング代表取締役 |
| 平成12年 6月 | 衆議院議員初当選 |
平成15年11月 |
衆議院議員2期目当選 |
鈴木政雄、恒子の長男として浜松市新津町に 産まれる。
両親とも教育者の家庭。 幼稚園は ひくま幼稚園。
小さい頃から祭好き
子供の頃は、とにかくいたずら好きのガキ大将で親を困らせた。
選挙で有名な「箱乗り」も 幼稚園時代から?
浜松市立曳馬小学校。
遊び場はなすび川、四つ池等で フナやザリガニ 採りが思い出深い
浜松市立児童会館少年合唱団 3期生 ボーイソプラノを担当
鈴木光司君とハイキング
転校早々最初に友達になったのが 鈴木光司君。
今や「リング」「らせん」等で、大ベストセラー作家となった彼。
その後中学校、高校、大学と同じ学校へ進み、 今では30年の付き合いになる。
その後、蜆塚中学校入学。
中学1年の頃は鉄道模型に夢中になり、 中学2年の頃から天文学に 興味を持ち、
望遠鏡で惑星などの観測を行った。
高校時代は球児だった。
浜松北高等学校入学。
北高の自由な雰囲気の中で学業と スポーツを励む。
スキー、登山等の催し物には全て参加。
浜松出身の慶応大学の仲間たち。
慶応義塾大学法学部政治学科へ入学。
三田祭の実行委員になり、大学祭を運営。
同時に浜松学生会で毎年浜名亭という鰻屋を 出展していた。
大学院へ進学しようと思っていたころ、 松下政経塾第1期生の 募集を知り応募を決意。
松下政経塾へ入塾。
「政治を正さなければ日本はよくならない」 という呼びかけに 大変感銘を受けた。
松下政経塾第1期生の仲間たち
フロリダに世界の仲間が集まった。
でも、日本人1人でちょっと不安。
月に1,2回行われた松下幸之助塾主の講義は、 いまだに自分の 細胞の一つ一つに
染み込んでいる感じがする。
工場実習や販売実習は有意義な体験となる。
政策研究も現場主義
盟友野田佳彦君 初当選の感激
(現民主党千葉県第4区 総支部長)
何よりも共に政治の改革を行おうという同志を、 たくさん得られたことが財産。
平成12年に第42回 衆議院議員選挙初当選。
その後2期目当選したが平成17年では 衆議院議員選挙惜敗。
初当選の頃。国会にて。
地域のイメージ工場や地域活性化を図るため、 「地域ブランド」を商標として 認める法案の
法制化に貢献。
エネルギー戦略の策定
将来にわたる日本のエネルギー戦略 (エネルギー基本法)の 策定に寄与。

介護支援活動のため、全国介護者支援協会を 発起人の 一人として設立。
全国で介護ガイドブックの発行を行うなど、 介護の支援活動に意欲的に取組み。
現在も理事を務めています。
拉致被害者は絶対に救出すべきとの信念から、 浜松ブルーリボンの会員として活動。
胸の青いリボンはその思いです。
浜松市長選初当選
無所属・市民党の鈴木やすとも。激戦の末浜松市長選に初当選。
大勢の皆様のお気持ちに支えられました。
5月 浜松市長に就任